京都青年 2017年7・8月号


京都青年2017年7・8月号 記事一覧

YMCAが果たす平和への役割

活動報告
ベーシックリーダートレーニング
坂井画伯とたどる西洋絵画の世界②

特集
特集①:第13回インターナショナル・チャリティーラン2017 in かもがわ 報告
特集②:「みつかる」「つながる」「よくなる」YMCA


YMCAが果たす平和への役割

公益財団法人広島YMCA 国際コミュニティーセンター
事務局長 中奥 岳生

原爆投下から13年後の1958年5月5日、原爆後遺症のため死亡した一少女の願いを祈念して、平和公園の一角に少年少女のブロンズ像が建てられました。この建設運動のきっかけとなったのが、YMCAの青年会員が企画した佐々木禎子さんの追悼会でした。禎子さんは、2歳で爆心地から2キロの地点で放射線を含んだ黒い雨に打たれ被爆。火傷も創傷もなかったのに小学校6年生で突然、亜急性リンパ腺白血病と診断され、1955年10月25日に不帰の人となりました。彼女の葬儀から3日後の10月28日、前年同じ病で死亡していたYMCA会員の子ども達の一周忌もあわせて追悼会が開かれ、「原爆でたくさんの学徒や子ども達が亡くなった。その供養塔を子ども達の手で建てる運動をしませんか」との提案が出されました。
幼き命の慰霊迫悼会の席につらなったYMCAの一青年の提案は、禎子さんの友人たちを中心にまたたくまに拡がりました。

1956年には広島市内55校の小、中、高校生がひとつとなって本格的な建設運動が進められていきました。
YMCA会員を中心として始まった追悼会での提案が、多くの人たちに支えられて、ついに1958年5月5日、多くの参列者を迎えて除幕式が行われ、一羽の折鶴を両手に支えた少女の像「原爆の子の像」が平和公園に完成したのです。記念像の下の石碑には「これはぼくらの叫びです。これはわたしたちの祈りです。世界に平和をきずくための」という言葉が刻まれています。
その後、子ども達は「折鶴の会」をつくり、事務局が広島YMCAにおかれました。それから2年がたったある日、広島市は、原爆ドームの存廃について、「廃墟を残すなどという前例のない取り組みを行う必要性はない」「自然に壊れるまで放置する」という方針をとりました。しかし、「原爆ドームを残すことで、後世に悲惨な事実を伝えることができるのだ」という思いから1960年、折鶴の会は「こわれかかって、取り払われようとしている原爆ドームを、私たちの手で守りましょう」と、平和公園、原爆の子の像の前でドーム修理費の募金と取りこわし反対の署名活動、「原爆ドーム保存運動」を開始します。
当初は冷ややかな目で見られていたこの活動も、やがて被爆者団体・反核団体から広島市への原爆ドーム保存についての強い要請や広島市議会での多くの議論を経て、1966年、ついに原爆ドーム永久保存を広島市議会が決議することとなりました。折鶴の会が保存を訴え、6年の年月を要しました。

YMCAの一青年会員からの呼びかけで、原爆の子の像が生まれ、佐々木禎子さんの平和の折鶴が世界に知られるようになり、その後の原爆ドーム保存運動が、ドームを守り、そして世界文化遺産登録へとつながりました。
現在、原爆の子の像があり、原爆ドームがあることで、広島市は世界に平和を発信し続ける街となりました。「国際平和都市」として、世界的にその中核を担っています。

平和を望む子ども達が、平和を伝える原動力となったことは間違いありません。終戦・被爆72年のこの夏に、私たちにはこの思いを未来につなげて行く使命があるのではないでしょうか。

YMCAは政府や公的機関ではありません。巨額の投資を行い世界の平和に貢献するODA団体でもありません。私たちにできることは、これからの社会で平和を紡ぐ若者を育てることだと思います。草の根のレベルで、平和を願う若者たちを世界規模でつなげていくことが重要です。

「友達がいる国とは戦争はしない」と言える若者が増えることを願い、今年の夏も全国のYMCAでは、世界の若者が集う広島YMCAの国際青少年平和セミナーに若者を派遣する予定です。

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活動報告

ベーシックリーダートレーニング

京都YMCAでは、毎年この時期に、野外活動やサポートプログラムに携わるボランティアリーダーを対象にトレーニングを行っています。今年は、6月2日の夜と3日昼から4日夕方にかけて宇治のリトリートセンターを利用し、1泊2日で行いました。
今年から登録したリーダーが44名と、昨年より倍近くの新人リーダー達を迎え、キャンプ経験のある先輩リーダー達と寝食を共に過ごしながら学び合いました。

講義内容は経験年数によって異なり、1年目はYMCA理解やキリスト教理解やなど組織の理解から始まり、リーダー論、安全理解、対象理解、グループワーク、救急法などキャンプカウンセラーとして基礎となる内容を行いました。
2年目以上は、経験を踏まえた講義となり、発達障がい基礎理解、プログラムマネジメント、リーダー活動におけるYMCAブランドコンセプト、自然・環境教育プログラムの基礎理解、子どもへの関わり研究、救急法実技演習、野外環境における応急処置などを勉強し、1年目より、更にYMCAプログラムに関する理解を深めました。

今回学んだ新人リーダー達は、これから実践の場に立ちます。
座学に励んだこの3日間を糧とし、自分たちの個性を武器に子どもたちのために輝いてほしいと思っています。

報告 野外事業部ディレクター 三宅 弘祐

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坂井画伯とたどる西洋絵画の世界②

2月17日に第1回目を行いご好評いただいた、京都YMCA会員でもある日本画家 坂井昇氏による「坂井画伯とたどる西洋絵画の世界」の第2回目を6月8日(木)に開催しました。

今回は、だれもが知っている「モナリザ」などレオナルド・ダ・ヴィンチの作品を中心にお話しいただきました。前回からのリピータを含む20名が参加され、「絵画を様々な角度から鑑賞でき、興味深かった」との感想が多く聞かれました。
次回第3回講座は、来年3月を予定しています。

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特集

第13回インターナショナル・チャリティーラン
2017 in かもがわ

ランナーとして、支援者として、ボランティアとして。
今年も、多くの皆様の温かい思いに支えられ、活気あふれる大会となりました。

5月21日(日)、気温も上がり明るい日差しの下、「第13回インターナショナル・チャリティーラン2017 in かもがわ」を開催しました。

148チーム606名が出場、ボランティア287名、来場者合わせて約1千名の方にご参加いただきました。会場では、日ごろから京都YMCAを支えるワイズメンズクラブや関連団体に出店いただいている屋台や野外活動・サポートプログラムのボランティアリーダーによる「子どもの遊びコーナー」が子どもたちを楽しませてくれました。
また、今年は大会運営ボランティアとして8名が一般応募でご協力くださいました。

ステージでも、佛教大学應援團本部吹奏楽部、京都ノートルダム女子大学チアリーダー部アミーガス、京都学生祭典 京炎そでふれ!、京都YMCAコグニサイズ、京都YMCAキッズダンス教室の皆様が会場を盛り上げてくださいました。
競技終了後には、毎年楽しみにしていただいている抽選会が行われ、皆様から寄贈していただいた景品のスポーツ用品やお食事券などを手にした参加者の嬉しそうな顔が見られました。

インターナショナル・チャリティーランは、ランナーの皆様の参加費や協賛金が障がいのある子どもたちの支援につながる大会です。今年も、皆様からの協賛金や参加費、屋台の売り上げを合わせ250万円を越える支援が得られました。
このうち大会の経費を差し引いた収益金が、京都YMCA、全国のYMCAで行われる障がいのある子どもたちのためのプログラムに用いられます。

今年も多くのご支援・ご協力ありがとうございました。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

⇒ 結果など詳細は、「京都YMCAインターナショナル・チャリティーラン」大会ページでご確認ください。

 

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特集②:「みつかる」「つながる」「よくなる」YMCA

YMCAは、一人ひとりにとって「したい何かがみつかり、誰かとつながる。一人ひとりがよくなる」場所でありたいと願っています。YMCAに連なる方々の「みつかる」「つながる」「よくなる」エピソードをご紹介します。

 
繋がりによって自分が変わったこと

京都YMCA 国際ボランティア会 吉見昭範

私は大学生になってからアルバイトや旅行を通して数多くの人と関わる機会に恵まれましたが、生まれ育った環境が自分と大きく異なる外国人の学生と繋がる機会を持つことができたのは京都YMCAの国際ボランティア会でした。

大学に入るまで日本以外の国の人と関わる機会がなかった私は、外国人に対して「言語、容姿、食べる物が全く違う、自分とは共通点のない遠い存在」というようなイメージを持っていました。
しかし、大学に入ってから京都YMCA国際ボランティア会で海外からの留学生と一緒にプログラムを楽しんだり、広島ピースセミナーで海外からのメンバーと一緒に原爆の歴史を共に学んだりしているうちに、「外国人と自分の違うところは生まれ育った環境だけで、それ以外はほとんど自分と変わらない」という事に気づかされました。同じ話題で笑い合い、同じ事に対して悲しい気持ちを持つ人達の事をもう遠い存在とは言えないと考えるようになったのです。
そして、そう考えるようになってからニュースで海外の友人たちの国の事が取り上げられる度に、他人事ではない感情が芽生えるようになりました。

これからもYMCAでできた海外の友人との繋がりを大切にすると同時に、更に多くの繋がりを作っていきたいです。
そして、考え方を変えるきっかけを作っていただいた京都YMCAに感謝しています。

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