京都青年 2008年4・5月号


創立125周年に向けて新たな歩みを始めます。

京都YMCAの運営基盤を強化すべく、財団法人京都キリスト教青年会と学校法人京都YMCA学園の施設を一体化し運営をより強め、拠点を三条本館に集約する準備を行ってきました。運営基盤の強化は、本年12月から始まる公益法人制度改革への対応、2014年に迎える125周年への計画を着実に進めるためのものです。

青少年活動を支えた38年

青少年センターは、1965(昭和40)年、会員協議会において「これからのYMCAをどうすすめていくか」において、三条の会館がすでに50年以上も経て老朽化していることのほかに、利用者数に比して施設が不充分で、事業やプログラムを進めるうえで施設の改善を強く望む意見が出されていいました。
1968(昭和43)年理事会は、創立65周年を契機として「新本館建設準備委員会」を発足させ、建設計画を具体化する一歩として新会館建設募金委員会を発足させました。後に本館は残し、青少年センターを新築することになりました。

青少年センター開館を契機に、少年事業を大きく転換させることになりました。その変化の方向は、中学生・高校生から小学生へ、野外活動に重点を置いて進めていくことになりました。当初は一チームを3年生から6年生40人とし、6、7人のリーダーが引率しましたが、創設チームの会員募集はわずか数日で定員に達し、保護者からの期待の大きさが感じられました。受付日には保護者が列をつくるほどの評判でした。

京都YMCA 青少年センター
京都YMCA 青少年センター

 また、全国のYMCA体育を推進する「日本YMCA体育三カ年前進計画」に参画し、YMCA体育の啓蒙と普及、指導者養成などが進められ、従来の体育が好きになる教室のほか、水泳教室、少年スポーツ教室、母と子の体育教室、婦人・成人体育教室などが新設され、1970(昭和45)年度で300余名の在籍数を数えました。

幼児・少年体育教室は、三条本館で始まった小学生の体育が好きになる教室を、青少年センターに移動し、体育活動の中核となっていきました。少年体育教室は大学生のボランティアリーダーによって運営され、毎回のプログラム作りやミーティングを繰り返し、努力の積み重ねによって基礎が築かれた。春・夏休みを利用して行われた「鉄棒・跳び箱が好きになる教室」などの短期講習も繰り返し開講され、毎回参加者を抽選で決めなければならないほど人気でした。

成人の体育活動は、米国YMCAで研究されたフィットネスやエアロビクスの理論を具体化したプログラムを積極的に取り入れて、ウエイトトレーニングを中心とする青年体育、フィットネス体操や壮年や婦人の体育クラスが実施され、成人の運動習慣づくりによる健康増進や、仲間づくりによる新しい場として大きな役割を果たし、今日のウエルネス事業の基盤となりました。
各種の市民に対する講座、セミナーなどを企画し、「講座・現代の探検」「キリスト教講座」「青年ゼミナール」金曜セミナー「日本人の心を探る」など青年の生き方、新しい倫理を追求し、文化教室は、京都が茶道、華道など日本の伝統文化が発展している土地柄であるのを反映して、他のYMCAに類を見ないユニークな事業として展開されてきました。
文化教室を会員事業としてとらえるとともに、多彩な講師陣を迎えて21教室が開講し、1974(昭和49)年度は男女合計240名に増加しました。少年に対しては陶芸、書道、少年絵画、器楽教室の4教室が開講していました。

また、様々な奉仕活動が展開され、社会奉仕研究会、社会問題研究会、野外活動研究会を発足さ、特殊学級同窓生の青年学級や視覚障がい者のためのテープライブラリー「こおろぎ」が誕生し、「桃山こおろぎ」や「長岡こおろぎ」が誕生し地域に密着した活動を展開していきました。更に、京都ワイズメンズクラブの援助により宇治ブランチにおいて行われていたワイズ文庫が青少年センターに引き継がれました。新たにホビット文庫が誕生し、子どもたちが読書に訪れて盛況でした。大学生のリーダーにより、定例の読み聞かせや紙芝居のほか季節のプログラムとして遠足やクリスマスなども実施されるようになりました。

少年体育教室のNHKによる取材
少年体育教室のNHKによる取材

 しかし、専門学校の拡充により青少年センターが手狭になってきたこともあり、残念ながら1991(平成3)年をもって活動を閉じることになりました。青少年とその家族を精神面からケアするため、青少年センターの一角に相談室が設置され、青少年の健全な育成を願うYMCAがその活動を進めていくためには、心理面からのアプローチも不可欠であるということから設置されました。専門家であるカウンセラーがカウンセリングから室の運営までボランティアで関わっていること、多くの会員、生徒、保護者から捧げられた奉仕活動基金によって運営が支えられていることを特徴としています。

ボランティアのトレーニングの拠点として

ボランティアリーダーのリーダーシップを発展させることも会員活動を高めるうえで不可欠であるため、会員活動委員会にリーダートレーニングコース実行委員会が設置され、実行委員会では、実行委員会は全体的なトレーニングシステムに沿って、少年、青年、体育、野外活動の各部門コースと、基礎コース、救急法資格取得コースを実施しました。これら一連のリーダー養成は、青少年センターの機能である「リーダーシップトレーニングセンター」の構想によるものでした。

青少年センターと国際専門学校の二つの役割を持っていた会館において、施設の限られたスペースの中で休憩場所や学生のためのスペースの確保ができないために教育環境の悪化となり、1994年を境に新入生は毎年減少していきました。学校法人は、ビジネス系専門学校から健康と福祉の専門学校へと方向転換し、京都YMCA国際福祉専門学校として校名も変更し、全ての人が暮らしやすい福祉社会の実現を目指して、健康と福祉の分野での人材育成をすすめることになりました。

京都YMCAのミッションを「青少年の健全な育成」「福祉社会の構築」「生涯学習社会の構築」「異文化共生の社会の構築」「ボランティア社会の構築」とし、到達目標の全体像については、社会に幅広く支持される事業、活動が展開され、会員やYMCAに関わる人びとが帰属意識や誇りを持てるYMCAを目標としつつ、YMCAの自立と存続のためには「財源の確保」が必須であり、教育環境の整備と運営システムの確立をはかり、主要な事業の数値目標の達成をはかる計画の一環として、今回の青少年センター閉館となったものです。

関係の皆様のご支援に感謝し、新たな歩みに神様が共にいてくださることを信じ、報告させて頂きます。

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ランチYMCA総主事・看護師を迎えて

ウイングワイズメンズクラブは、1月にインドからランチYMCA総主事サンガさんとベロニカ ハンス看護師を招待されました。経緯は、1990年暮れから1991年の正月にかけて、ウイングクラブはランチワイズメンズクラブと姉妹クラブの締結をむすぶために、10名でインドのランチを訪問され、教育や医療をほとんど受ける事ができない子ども達の様子を目の当たりにし、胸を痛められました。この子ども達が将来自立して生活ができるように微力ではあっても尽くしたいとの想いで、ウイングクラブ内に「インド基金委員会」を設立されました。

ランチ近郊に「マランガダ村」という先住民の村があります。広大なジャングルの中で自給自足の生活をしている人々ですが、現在では、時代に取り残され、自立できなくなっています。ランチYMCAは40年前の設立当初から貧しい人々への自立のため、この地域でも農村開発、教育プログラムを始めていました。

ウイングインド基金委員会は、1994年からランチYMCAの教育プログラムを支援するため毎年30万~35万円を、京都YMCAの国際協力募金を通して現在まで支援を続けています。ランガダ村は全体では4万5000人の村ですが、30万円で4つの集落の4つの学校、合わせて幼児~小学生低学年の子ども140人を対象として、それぞれの集落に先生1人ずつ4人、給食調理人も1人ずつ4人、保健婦1人、スーパバイザー1人 合計10人の給料。子ども達のお昼の給食費用、制服代1年分の経費となります。

ここ数年、「インドは近年経済も発展していることだし、もうやめるべきだ」という声が大きくなっていましたが、この教育プログラムの出身者に来てもらい、直接話を聞いてみようということになり、ベロニカ・ハンスさんとサンガ総主事の来日につながりました。

ベロニカさんは、一男一女の母親です。子どもの頃、ある日突然、当時のランチYMCA総主事のナイクさんに、他の6人の子ども達と共に知らない村に連れて行かれ、そこの学校に入れられました。それからはずっとYMCAの支援と奨学金を得て大学を卒業し、ランチYMCAのスタッフとして、10年間スラムで医療に携わり、今は公立病院の看護師です。 週のうち二日は病院勤務。他の日は、病院に来られない人のために、一日中歩いて村々を医療のために巡回する。(村ごとに言葉が異なるとのことでした)。時には赤ちゃんを取り上げることもある。そんな毎日だということです。

彼女はYMCAの支援があったからこそ看護師として仕事をしていますが、教育を受けるチャンスがなかった子ども達の多くは、都会に出ても、まともな職業にはつけなくて、物乞いや売春をして身を持ち崩すものが多いのが現実です。私は感謝していると、インドの人は、泣き顔をせずに、涙をぽろっと溢されるのが心に揺さぶられます。

サンガ総主事によると、確かにインドの経済はよくなったけれど、車を持ったり恩恵を受けているのは、上の方の人だけで、底辺の人々には、全く関係がない。インド社会の大きな問題だと説明がありました。彼女の日本からの招待に関しては、当地でマスコミにも取りあげられるなど、ちょっとした事件だったようです。

ランチYMCA総主事・看護師を迎えて

 最後に、今回一番印象に残った事は(極貧の生い立ちから努力を重ね、神への感謝の念を絶やさない)ベロニカさんの信仰についてです。日曜礼拝の日は朝食は摂らずに、早朝から聖書を読んでおられました。礼拝の朝はいつも食事をしないとの事でした。ベロニカさんのことは深く心に残りました。

ベロニカさんのことを思うにつけて「貧しい人は、貧しいが故に、他の人々を抑圧することはない」という釜崎の本多神父の言葉をあらためて思いおこされます。

(常議員 亀井 剛)

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病院訪問プログラム 5周年を迎えて

「ギブキッズ病院訪問プログラム5周年記念評価会」が3月15日(土)行われました。病気で入院をしているこども達を励まそうとギブキッズ・ザ・ドリームの活動を始めて5年となりました。出席者は京都YMCAの大学生ボランティアのギブキッズリーダー達と、府立医科大学病院の医師、3つの病棟の看護師長、病棟の保母さんたち、活動をサポートしてくださっているウイングとウェルの両ワイズメンズクラブの皆さんでした。また、病院で本の読み聞かせの活動をしている「かがやく未来の会」や、ギブキッズリーダーのOGの参加もあり46人が出席されました。

会は5年間の活動を映像で報告があり、今後、活動をどのように展開して行くかというテーマでいろいろな意見が飛び出しました。病棟訪問の時間も、病室から出て行けないこども達がいる、そんなこども達の個室を訪問しよう、医療従事者も出来る限りのサポートをしようなど、出席者全員がこども達の為に心を合わせ、これからの活動に意欲を燃やことができました。多くの方達のこの活動への支援をお願いします。

(ディレクター久保田展史)

〈解説〉
ギブキッズ・ザ・ドリームは2003年より活動を始めました。月に一度京都府立医科大学付属病院の3つの小児病棟を回り、それぞれ40分という時間で歌や手遊び、ゲーム、紙芝居や人形劇クラフト等を楽しんでもらうのです。季節の分からない病院内のこども達に少しでも季節感を味わってもらおうとテーマを持ってプログラムをすすめています。活動はギブキッズのリーダーがすすめ、病棟の保母さん看護師長さんがフォローしてくださいます。時々お琴の演奏やサンタ役など多くの方々にゲスト出演をしていただいています。昨年は祇園祭の南観音山の保存会のみなさんに祇園囃子を演奏していただき、夏祭りを行いました、そのほかに年に2回「こどもコンサート」も行っています。