クリスマスは愛の時
関西学院大学神学部准教授 榎本てる子
この題はクリスマスに流れる子供の歌です。英語で「Christmas is the time to love」と言います。クリスマスでなくてもいつでも愛されたいですけどね。
このキャロルが流れるカナダの小さな町に3年ほど住んでいました。その頃大学の寮ではみんなで楽しむちょっとした遊びがありました。大学の寮にはカナダ人学生、ドイツ、中国、日本からの留学生が40名ほど住んでいました。その遊びの名前は「Secret SANTA」という遊びで、クリスマス休暇が始まる前の2週間、お互いにお互いのサンタになってプレゼントをしあう遊びです。寮会でみんなが集まりくじを引き、自分がサンタになる相手を決めます。クリスマスまでの毎晩、その人がどんなものが好きなのかを考え、部屋の前に本人に分からないようにプレゼントとカードを置きます。毎日小さなプレゼントと心温まるメッセージが送られ、「あの人かな~?こんなこと書くかな~?なんでこんなプレゼントを考えたんだろう?私の事こんな風に思っているんだ」などなど自分の『秘密のサンタ』が誰なのかを友達と話し合ったりします。話している相手が実は自分の『秘密のサンタ』だったりもします。又、自分もその2週間は自分が担当している人がどんなものが好きなんだろう、と相手のことを一生懸命考えたり、翌日プレゼントを喜んでいる顔を見るとホットしたり、けっこう毎晩が楽しい時でした。知らなかった人とも2週間の間になんとなく近く感じられるようになり、クリスマスが過ぎた後も「Secret Santa」がきっかけでとっても仲良くなったりしました。最後の晩は一人ひとりがちょっと高めのプレゼントを買って来て自分の相手に手渡しをします。誰が自分のサンタかがわかる時はもうドキドキ、ワクワクです。「やっぱりこの人だったんだ!」「え!あなただったの!意外だわ!」楽しい交わりが終わり一体感を味わった私たちは数日後、各々それぞれの家族のところに帰り、家族とのクリスマス休暇を過ごします。家族が近くにいない私にとってはちょっとさびしいクリスマスでしたが、2週間誰かが私が喜ぶことを一生懸命考えてくれたという喜びは大きなものでした。そして自分自身も誰かの事を一生懸命考えるのもけっこう心が熱くなることだと思いました。
人と人とのつながりが希薄になり自分の居場所を見つけることが難しくなってきている現代社会の中で、ちょっとした遊びが、忘れていた「人を思う気持ち」を思い出させてくれます。
聖書には天地創造の物語が書かれています。神様は自分のイメージで人を創られました。そして「人は一人でいるのは良くない」と言って助け手を創られました。神様は私たちがお互いに助け合い、思い合っていける世界を作りなさいと私たちに言っています。相手がどうしたら喜ぶんだろう?嬉しいだろう?心があったかくなるだろう~?と考えられる気持ちを一人ひとりが持てたらきっと社会はもっとあったかくなるのかな~?と思います。
私は、この2年間、京都YMCAのメンバーと一緒にエイズについて考えてきました。現在、日本ではHIV陽性者とエイズ患者の合計が1万人を越えました。1万人という数字には、一人ひとりの人生があります。そして、その一人ひとりにそれぞれのパートナーや、子どもや、親や、友や、職場の仲間や、先生や、色々な人達がいます。エイズは、今は良い薬が出来てきています。完治する薬はまだ見つかっていませんが、この20年で、とっても良い薬が出てきて、慢性的な病気へと変わってきています。毎日病気と付き合うのは、大変です。「辛いよ、もういやだよ。」と時々本音で人と話をして病気と向き合っていく力をもらっている人もいます。しかし、一方で病気のことを話したら皆にどう思われるのかが心配で病気のことを誰にも言えず、ひとりで抱えて生きている人もいます。神様は、イエス様をこの世に送ってくださいました。そして「あなたは決してひとりではないよ!」と生涯を通して色々な人に伝えてくれました。
今、私達の生きている世界の中で、色々な思いを抱えながら、それぞれの人達がクリスマスを迎えようとしています。ある人にとっては、とってもあったかいクリスマスだったり、ある人にとってはとってもさびしくて辛いクリスマスだったり。
クリスマスは愛の時。それはきっと色々な状況の中に生きる人が「あなたは決してひとりではないよ!」ということを感じることができる社会がくることを祈る時なのかもしれません。
そして、クリスマスは愛の時。寂しい思いをしている人、悲しい思いをしている人、”世の中なんてこんなものか“とあきらめている人の心に、なんかあったかい息が吹き込まれる時になって欲しいです。そして、クリスマスの魂がずっと私たちの心にとどまりますように。
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【活動報告】
子どもたちのための国際理解プログラム
野外活動アウトドアクラブでは11月2日を「国際協力プログラム」の日として、毎年11月のプログラムに位置付けています。この日までに8つのチームでそれぞれに世界の文化を理解する時間をプログラムの中で行ってきました。
この日は朝から子どもたちに世界を身近に感じてもらって、同じ世代の子どもたちを「仲間」と感じてもらう「国際理解」のプログラムと、そのあとに世界の現状を知り、子ども達が心から「自分たちも困っている世界の仲間たちに何かしてあげたい」という気持ちを持ってもらうことをねらいとしてとする二つの特徴的なプログラムを行いました。「国際理解」のプログラムでは、おひさまニコニコクラブとフィールドアドベンチャーにお子様を参加させてくださっている伊藤崇博さんにお越しいただいて、「ラオス」のお話をしていただきました。伊藤さんは水力発電の施設を建設するためにラオスに赴任しておられ、アウトドアクラブのホームページにラオスの報告を連載していただいていました。ラオスの子どもたちの様子、特に壊れかけたような校舎で一生懸命勉強している子どもたちの様子や水牛を操って家のお手伝いをしている姿などの写真を見せていただき、ラオスの子どもたちに思いを馳せ、日本の子どもたちの生活を考える貴重な時間になりました。
その後、国際協力の大切さのお話を聞いて、午後からは京都市内12か所に分かれて募金活動を行いました。(久保田)
国際協力街頭募金
11月2日に国際協力街頭募金を実施いたしました。今年度は三条河原町や四条河原町等の地点に加えて京都駅南のアバンティ―の地下入り口での募金場所も加えて、京都市内12か所で展開いたしました。まず正午から、「知っているようで知らなかったYMCAの国際協力」と題して、国際理解講座を開催しました。これは世界的ネットワークを持つわれわれYMCAの国際協力の特徴を広く知っていただくことと、具体的なその協力現場を知っていただこうと、遠藤浩氏(京都YMCA国際専門委員・元神戸YMCAスタッフ)と藤尾実主事にお話をいただきました。その後に街頭に出ての募金ですが約2時間、会員やワイズメン、野外や体育活動に参加している子どもたちとその保護者、専門学校の学生たちが一体となって街頭で協力の呼びかけを行いました。参加者は425人、募金総額は423,867円となりました。ご協力いただきました皆さま、そして街頭での募金にお気持ちをいただきました市民の皆様に感謝いたします。(久保田)
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第8回リトリートセンターオータムフェスタ
11月16日(日)、リトリートセンターにて第8回オータムフェスタを開催しました。この日はあいにくの雨模様でしたが、会員、ワイズメンズクラブ、プログラム参加者など総勢160名を超える来場者にお越しいただきました。
ステージでは、親子2世代で活動するオールディーズバンド「ミノン」のライブ、今回初の試みとして料理対決コーナー、輪投げ大会を開催しました。料理対決では、制限時間90分で2チームそれぞれが趣向を凝らして調理した料理を10名の審査員が審査するという本格的な対決となりました。ダッチオーブンで豪快に調理されたものもあれば、限られた時間にもかかわらず厨房でコツコツ煮込まれた料理もあり、これには、観客もどんな味なのか興味津々で、注目が集まりました。審査結果は惜しくも(?)引き分けとなりましたが、来場者を審査に巻き込み、楽しいイベントとなりました。
子どものゲームコーナーでは、輪投げ、紙飛行機つくり、竹細工遊びなどを提供し、子どもたちも多く来場するオータムフェスタならではの盛り上がりを見せていました。また、屋台では14種類の料理が振る舞われ、来場者は秋の味覚に満足気の様子でした。この他に重度障害者支援団体からの作品販売もあり、屋台コーナーも盛況のうちに終えることができました。最後になりましたが、今回も多くのワイズメンズクラブを始めとする会員の皆さまの協力により、準備から後片付けまでを特に大きなトラブルもなくスムーズに行うことができました。感謝いたします。(中村)
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アウトドアクラブ 秋のリーダートレーニング
10月11日(土)~13日(月)にかけてアウトドアクラブリーダーを対象とした実技トレーニングが行われました。リーダーの経験別に3つのコースに分かれての実施でした。トレーニングは前3日の準備会を含めて、計画の立て方、装備、食料計画、安全管理(エスケープの仕方を含む)や野外技術(テンティング、パッキング、歩行法、ルートファインディング、読図、コンパス活用)をレベルごとに習得することを狙いとして行われました。
1年目は滋賀県湖西の赤坂山を利用して軽登山の実習。2年目は京都北山の百々井周辺を利用したルートファインディングの実習。そして3・4年目は石川県の白山での本格的な登山トレーニングの実習でした。期間中は天候が危ぶまれましたが、2日目以降は良い天気となりました。3・4年目の白山トレーニング、1日目は白山の麓の市ノ瀬にてテント泊をして2日目早朝6時に登山を開始しました。2つの小グループに分かれて地図を確認し、ところどころでコンパスを使いながらの位置確定の作業を行いながらの登山です。休憩ごとに脈拍も見ながら参加者の体力を考慮してのペースを学びます。
白山はすでに秋を終えようとしているところで、ガンコウランやクロマメノキが紫色の実をつけていたり、チングルマの綿毛がすっかり飛んでしまったりしています。山の木々は紅葉をはじめて明るい日差しを受け、赤色や金色に輝きます。午後2時には頂上直下の室堂の山小屋に到着。早い夕食をとって真っ赤な夕焼けを楽しみました。翌朝は3時起床。ヘッドランプをつけながら頂上を目指します。見下ろすと登山道をヘッドランプの列が続きます。みな山頂のご来光を狙っているのです。午前4時白山山頂に到着、そして5時35分に東の山の峰から出る美しい日の出を堪能しました。振り返れば眼下の山々の繋ぎに雲海も見られ、ダイナミックな自然を感じる登頂でした。その後には下山です。疲れた足元をどう注意するのか、どのような声かけをしながら下山する参加者を導くのかを学びながらの行程です。午後1時に市ノ瀬への下山を完了しました。
天候に恵まれ、予定通りトレーニング内容を行えて多くの学びを持てたと感じています。このトレーニングには8名の会員やリーダーOBの方々がトレーナーとして奉仕してくださいました。(久保田)
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専門学校学園祭
11月2日3日、京都YMCA国際福祉専門学校の学園祭が行われました。今回は、専門学校が今出川から三条に移っての学園祭と言う事で、今出川のときとまた一味違う学園祭となりました。
2日は、介護福祉学科の1年生2年生のクラス発表がマナホールであり、学生達が、発表に向けて練習を積んできた成果を発表しました。その日は京都YMCAの国際協力街頭募金の日でもあったため、その後、学生達は3グループに分かれて、三条通りの3ヵ所で、会員、ワイズメンや子ども達と一緒に声を張り上げて道行く市民に募金を呼びかけていました。
3日は朝からあいにくの曇り空でしたが、学生達による前日からの飾り付けで、三条本館の1階2階は、学園祭らしい雰囲気に盛り上げられ、駐輪場スペースには、食べ物の屋台が設けられました。学生達は、おでんやたこ焼きを作り、協力出店のワイズメンズクラブからは、焼きそばやベーコンハンバーグを提供していただきました。屋台周辺では、ベーコンなどの焼ける匂いが漂ってきて食欲をそそっていました。館内では、学生達による模擬店や、京都YMCAのボランティアグループ「マイマイ」、「こおろぎ」の活動紹介、体験コーナー、知的障害者の社会就労支援センター「修光学園」の商品の販売コーナーなど福祉の専門学校らしい、また、YMCAの特色の出た学園祭となりました。1階ロビーに設置されたミニステージでは、11時からアジアンミニコンサートが行われ、京都YMCA日本語学校卒業生で二胡の演奏家である沈佳さんの演奏と、モンゴル出身の女優サエーハンさんが華やかなモンゴル衣装でのモンゴル琴の演奏を行い、モンゴル舞踊も披露されました。最後に再度 沈佳さんの二胡とYMCA英会話のマックス先生のギターの共演が、ロビーに響き渡り、集まった聴衆から大きな拍手が寄せられました。三条通りを道行く人も、二胡の音色に魅かれてロビーに入り、演奏に聴き入ってくださいました。
YMCAの関係者、卒業生、一般の方々を合わせ、300名近くの方が来館され、学園祭を通じ、京都YMCAの専門学校を知ってもらう機会となりました。(加藤)
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世界YMCA・YWCA 合同祈祷集会
「自由と平等に生まれて‐神に祝福された人権」が2008年度の世界YMCA・YWCA合同祈祷週のテーマです。京都YMCAでは毎年京都YWCAと合同で祈祷週の集会を行っています。祈祷週集会というと皆でお祈りする会のように思われそうですが、この集会は、私たちが日頃見過ごしている問題や身近にありながら気づかないさまざまな問題について毎年のテーマに沿って講師を招いて話を聴き、話し合う会として行われています。今年は、アジア保健研修所(AHI)がこの時期に全国の講演に招聘したAHI元研修生でフィリピンのミンダナオ平和構築協会の事務局長として地域の人々への支援活動を行っているデデットさんという女性を招いて話を聴くことになり、11月13日(木)に京都YWCAでもたれました。
実は、デデットさんが来日する前に彼女が事務局長を務めるNGOの女性ワーカー2名が武装勢力に誘拐され、1名は釈放されたもの未だ1名が誘拐されたままの状況の中での来日でした。デデットさんは、まだ釈放されていないワーカーのことを気遣い、心を痛めながら、彼女の活動しているフィリピンのミンダナオ自治区での政府軍とムスリム武装勢力との紛争によって人々の生活が破壊され、子ども達が教育を受けられないまま、武装勢力に加わっていく現実や、特に「9・11」以降ムスリムに対する政府からの迫害により彼らがもともとは資源豊かな地域であるにもかかわらず経済的貧困に追いやられている状況等をプロジェクターでデータや写真を示しながら話し始めました。さらに彼女自身はクリスチャンですがムスリム地区に入り行っている平和を作り出す運動や子ども達の教育のプロジェクト、また人々の経済的自立を図るための援助活動など実践報告を静かながら力強い語り口で参加者の心へ訴えかけてゆきました。
当日の集会の参加者はYMCA・YWCAそして関西地区のAHIの会員や学生等を含め35名が集まり、デデットさんの話を聞き、その後彼女の発題を受けてのワークショップで身近なところから平和と教育について考える機会をもちました。
最後に今年の祈祷週のリーフレットに記載されている「告白の祈りを」参加者全員で朗読し祈祷週集会を終えました。(加藤)
心から癒された2日間
~HIV陽性者とAIDS患者を支える活動より~
NPO法人CHARM事務局長 青木理恵子
NPO法人CHARM(Center for Health and Rights of Migrants、移住者の健康と権利の実現を支援する会)は、大阪市に活動拠点を置く市民団体です。外国籍HIV感染症の末期患者の診療に当たった医師やカウンセラーが中心となって2002年に設立しました。CHARMは日本に暮らしているHIV陽性者の中で言葉の問題などの壁に直面する外国人など社会保障などの制度につながりにくい人たちを医療機関と連携しながら地域で支援しています。
HIV陽性者は、自分の体調が安定すれば治療を継続していくことで普通の生活を続けることが出来ます。外国籍のHIV陽性者の中で女性は、子育てや家族の健康を維持する為の工夫など共通の関心事がたくさんあるため、日頃からCHARMを通して協力し助け合っています。
昨年からCHARMの女性グループは、全国の女性HIV陽性者ネットワークであるLive Positive Women Network(LPWN)と一緒に秋に1泊2日の多文化キャンプを京都YMCAリトリートセンターで開催しています。今年は、9月27、28日の2日間に大人26名、子ども9名が参加しました。
多文化キャンプでは、CHARMのように日常的に人々が集まる機会のない地域の女性達が全国から集まって来て、女性だけで気兼ねなく話し合いの会を持ちます。日頃は同じ病気を持ちながら生活している女性同士が会って話す機会がない人が多いため、いくら話しても話はつきません。
また子ども達は、リトリートセンターの自然を相手にあきることのない楽しい時間を過ごします。今年は笠取川でのカニ探しやダム作り、課題探しのゲームに広いキャンプ場を走り回りました。
このキャンプは、山の大自然の力の元に、京都ワイズメンズクラブと京都YMCAリトリートセンタースタッフのお二人、そしてリーダー達が一生懸命汗してくださり、ワイズメンズクラブからのプレゼントされたバーベキューの夕食やキャンプファイヤーなど忘れられないそして心から癒された2日間となりました。YMCAに支えられて多文化キャンプを実施できたことに本当に感謝しています。
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私の英語の原点
ユネスコ・プノンペン事務所長
駐カンボジア・ユネスコ代表
神内 照夫
私は現在、ユネスコ代表兼プノンペン事務所長としてカンボジアで働いています。ユネスコとは、国際連合教育科学文化機関のことで、国連の専門機関です。国連が活動する国々は途上国または紛争国が多く、その中で相手国の人達はもちろん、各国連機関の同僚たちも人種、宗教、文化、生活習慣などの異なる人たちの集まりです。こういう環境の中では相互間の意思の疎通が非常に大切になってきます。私の仕事は約7割が英語で行われ、あとの3割はフランス語です。これはユネスコの代表部がパリにあるためですが、他の国連機関ではほとんどが英語で行われています。
私は今、英語を当然のように使って仕事をしていますが、40年前の私は英語はできなかったが外国に行くことを夢見る一人の青年でした。当時はベトナム戦争の真っ最中で世界的に若者の間で反戦運動が盛り上がり、日本でも学生運動が激化した時代でした。私は大学に行くことに興味を持たず就職しました。ただ、世界に強い影響を与えていたアメリカを自分の目で見たいと言う気持ちを強くもっていました。1967年4月、京都勤務になったのをきっかけに三条通の京都YMCA英語学校に通い始めました。初めは、長身で金髪のカナダ人の先生の発音が全く聞き取れず、教科書の文章と彼が読んでいる文章が同じものとは何度聞いても「Do you have any oranges?」という文章が私の耳には「ドヒャベニョレンジーズ」としか聞こえませんでした。先生に当てられて「ドゥー ユー ハブ エニー オレンジィズ?」と答えると「No!」と強く言われ、2・3度同じ事を繰り返した後、意を決して「ドヒャベニョレンジーズ」と言うと「Excellent!」と褒めてくれました。それからは書いてあることよりも先生の言うことを聴こえるままに発音するように努めました。1年間の京都YMCAを通して知り合った友人たちとの交流は、夢多き若者同士の集まりで非常に新鮮でした。大阪に転勤後も大阪YMCAへ通い、その頃北米で大学に行くことを決心し1969年にカナダへ渡りました。当初は自分の英語は問題ないと思っていたにもかかわらず、現実には相手の言うことが聞き取れず大変苦労しました。それでもいろいろな経験を通し次第にコミュニケーションには不便を感じなくなりました。その後、カナダのモントリオールの大学で言語学を専攻し、1977年に卒業しました。私にとってモントリオールと言う町で大学に通ったということはその後の人生に大きな影響を与えています。大学は英語でしたが一歩外に出ると町はフランス語の世界です。また、ヨーロッパなどからの移民が多く、これらの国の言葉も日常よく耳にしました。フランス語は話さざるを得なくなりドイツ語もスペイン語も授業で必要でした。
卒業後は結果的にフランス語の能力が役に立ち日本の商社に就職、15年間アルジェリアとフランスで仕事をしました。そして、1995年にあるきっかけで国連に移り、国連難民高等弁務官事務所のアフリカ・ルワンダ難民キャンプで仕事をする機会を得、それ以来国連職員として現在に至っています。
日本を離れて以来、私が歩んできた道は一言で言えば「人種、宗教、文化、生活習慣などの異なる人たちとの交流とコミュニケーション」に集約されます。そして、その出発点は三条通の京都YMCAの英語クラスでした。今もたくさんの若い人がそれぞれの目的のため京都YMCAで学ばれておられると思います。国際交流が以前にも増して重要になってきた今日、コミュニケーション手段として英語は不可欠であり、皆さんが学ばれる意味は非常に大きいと思います。そして、皆さんの世界を広げそれぞれの目的に向かって進んでください。
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