京都青年 2009年3月号


グローバルな視点を持った青年を京都から
-京都YMCAグローバルコミュニティスタディを始めるにあたって-

京都YMCA副理事長・常議員 亀井 剛

 京都YMCAでは、今年度からグローバルコミュニティスタディと銘打って、京都YMCAとブラザーリンケージ関係にあるYMCAの協力のもとに、京都YMCAに所属する野外・体育・国際のユースリーダーのうちから数名を派遣し、現地のYMCAの働きを学び、京都での活動に生かしてもらうことを目的としたプログラムを始める。今年度の訪問地はインド・ランチYMCAに決まり、2名のリーダーがYMCA学園の外国人教師の引率で2月17日から8日間の予定で派遣される。

インド・ランチ 運輸交通、情報通信の発達で、人の行き来や貿易が盛んになり、地球は小さくなった。世界のグローバル化に伴って、限りある資源のもとで多様な民族や文化がますます相互依存を深めつつある。私たちは、単に日本という国家の世界に生きているのではなく、地球上のすべての人々が他の人々に影響を与え、与えられる世界に生きている。世界中のコミュニティに存在する環境・開発・平和・人権等の諸問題は、国家レベルの行動だけでは解決できない問題が少なくないし、地球全体の利益を考えることなしに国家的利益の実現は難しい。次の次代を担う若い人たちには、多様な民族・文化のコミュニティに存在する諸問題を学び、地球全体の幸せを視野に入れた地球市民としての判断力を養い、それを日本の地域社会での活動に活かしていく事が求められている。

インド・ランチ 今回の訪問地はインドの中でも特に貧しいといわれているインド東北部にあるランチYMCA。ランチYMCAが取組む貧困や飢餓に対する働きからインドの現状を学ぶと共に、現地での人的交流を通して子ども達や青年たちの生き方や考え方、問題等を学んで欲しい。短期間の訪問ではそこまで踏み込むことは難しいかもしれないが、発展途上国に対して「貧しい」「遅れている」「汚い」だけで終わるのでなく、人々の暮らしや文化の中から学ぶべきものを見いだして欲しい。

 聖書に「貧しい人々は幸いである、神の国はあなたがたのものである」(ルカによる福音書6章20節)とある。ある注解書によると、この場合の「貧しさ」は物乞いをしなければならないほどの貧しさの事で、むろん貧しいことが幸いなのではなく、「幸い」は神の祝福があると理解すべきとのこと。なぜ貧しい人々に神は神の国を約束するのか。また、この人々を貧しさに追いやった社会の責任はどうなのか。これは、私たち先進国に住む者への厳しい問いであろう。

 インド・ランチ

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クリスマスイベント

 2008年12月16日(火)~20日(土)の5日間、京都YMCA本館ロビーにおいて、クリスマスロビーコンサートを開催いたしました。毎夜、会員をはじめ、本館前を通りかかった一般の方々にもお越しいただき、アーティストの奏でる音色とともに世界の平和を祈る時をもちました。

 また、4日目の19日には、恒例のクリスマスキャロリングを行いました。ロビーコンサート終了後のクリスマス礼拝では、日本福音ルーテル教会小泉潤牧師に奨励をいただきました。その後、総勢65名の会員とともに、三条寺町~寺町通商店街~六角広場~新京極商店街の各箇所で聖歌を斉唱し、時には通りかかる人々と共に、クリスマスを通して平和を願うキャロリングとなりました。

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パレスチナ・ガザYMCA活動支援街頭募金

 昨年暮れから年明けにかけて起こった、イスラエルとハマスとの戦闘において民間人の死傷者を多く出したパレスチナ・ガザ地区で、家や家族を失った避難民の救援活動を行っているガザのYMCAを支援するために、2月11日水曜日(祝日)に京都YMCA三条本館前で街頭募金が行われました。当日は、冷たい風の吹く肌寒い日でしたが、京都YMCAの呼びかけにワイズメンをはじめとした会員が20名近く集まり、休日の三条通りを行き交う人々に募金を呼びかけました。午後2時から4時までの2時間の活動で、賛同していただいた方々の募金33,437円が集まりました。これらの募金は、京都YMCAの窓口で受け付けている募金及び、ワイズメンズクラブ京都部の各クラブで集めていただいている募金を合わせて日本YMCA同盟から世界YMCA同盟を通じてガザのYMCAに送られます。

パレスチナ・ガザYMCA活動支援街頭募金


 京都YMCAは、2008年度の年間聖句を「平和を実現する人々は幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる(マタイによる福音書第5章9節)」としていました。そのような2008年12月に東エルサレムのYMCAから「世界がクリスマスを祝い、新年を迎える準備をしていたとき、イスラエルは1967年以降最悪で致命的な空爆をガザに対して行いました。46名の子どもと16名の女性を含むおよそ388名が殺害され、1750名以上が負傷しました。イスラエルの当局者は、これは始まりに過ぎず、最悪の状況はこれから訪れると公言してはばかりません。(略)」のニュースが入り、日本YWCA及び日本YMCA有志一同(2008年12月29日)はガザ攻撃に対するアピールを以下のように発表しました。

 「パレスチナに大切な友人をもつ、私たち日本のYWCA、YMCAのメンバーは、2008年12月27日に開始されたイスラエル軍のガザ空爆に対して、心の底からの強い悲しさと憤りをおぼえています。長期にわたる封鎖によって疲弊しているガザに対して、圧倒的に優位な軍事力を有するイスラ工ル軍が行った今回の空爆においては「自衛」のための攻撃という口実は全く成り立ちません。一日の数としてはこれまでで最大の死傷者を発生させ、暴力の連鎖をさらに深め、中東和平に寄せる全ての人々の期待を裏切る蛮行にほかなりません。ガザの人々の尊い命がこれ以上奪われることのないよう、私たちはイスラエル政府に対して、以下の2点を強く要求します。

  1. 空爆をはじめとする、イスラエル軍によるガザへのあらゆる攻撃を即刻中止すること。

  2. ガザに対する国際社会からの人道支援が滞りなく実行されるよう、あらゆる妨害を行わないこと。

 同時に私たちは、今、この困難な状況においてもパレスチナの地における平和の実現のために働いているYWCA、YMCAのメンバー、スタッフの働きに対して連帯の思いを表明します。また、日本のYWCA、YMCAにつらなる一人でも多くの方が、この状況に対して思いを寄せ、パレスチナの地における平和回復のために、祈り、行動してくださることを合わせて強く希望します。」

 私たちには愛があります。世界の人びとが争いのない社会で生きることができることを。皆様と共に祈り行動しましょう。

総主事 神崎清一

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創立120周年記念会員集会

創立120周年記念会員集会 創立120年を迎えた京都YMCAの会員集会が、2月14日土曜日に行われました。
例年、三条本館で行われている会員集会ですが、創立120年を記念し、場所を移して、築後110年の趣き深い聖公会の聖アグネス教会を使用させていただきました。一部の礼拝は、本会会員で専門学校の講師も勤める門脇光禅司祭の司式で、厳粛な雰囲気で行われました。

 その後二部は、場所を平安会館に移して、125周年に向けて現在作成されている「京都YMCA PLAN125素案」についてのプレゼンテーションの後、軽食を囲みながら、京都YMCAのあるべき姿について、グループに分かれて思い思いに話し合う時が持たれました。公益法人化へ向けて乗り越えるべき課題が数多くある中で、もう一度原点に立ち返り会員とスタッフの協働で作り上げてゆく京都YMCAの姿の垣間見えた会となりました。

創立120周年記念会員集会

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故堀一行さん表彰受賞ご報告と偲ぶ会

 昨年5月23日、昇天された故堀一行さん(常議員)の京都府青少年健全育成功労者等表彰受賞の報告と偲ぶ会を兼ねて、2月15日(日)に行いました。
まず、マナホールにおいて礼拝を行い、日本基督教団上賀茂伝道所牧師の兼松豊氏を迎えて奨励をいただきました。その後、場所を1階ロビーに移して、報告兼偲ぶ会をおこないました。約80名の参加者とともに、スクリーンに映し出された在りし日の堀さんの写真と、お気に入りの音楽をBGMに、歓談の時を持ちました。その中で、堀さんと特に交流の深かった方々を中心に、それぞれメッセージをいただきました。

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堀一行さんを偲んで…… 「堀 一行と私」

常議員 岡本尚男

 堀さんは1977年京都パレスワイズメンズクラブに入会。1983年京都キャピタルワイズメンズクラブ設立に伴い、共に移籍したので31年間の付き合いでした。彼は正義感が強く、原理原則に拘るタイプでした。しかし、ワイズメンズクラブとYMCA活動の中から人生の教訓を学び、厳しさと優しさを持ち併せていました。それゆえに、クラブでも理想的なワイズメンとして、会社や業界でも存在感のある人物として、63年間を生き抜いた立派な人生でした。

photo 彼は、私がワイズメンズクラブの日本区理事(1994年~95年)を努めたとき、書記として私を陰から支え続けてくれました。常に私の意見には適切なアドバイスとビジネスで鍛えた人を見抜く力で、私の方針に対する露払いの役目を担って、私を引き立てながらも周りの人たちへの気遣いを忘れない人でした。とりわけ、阪神・淡路大震災の息詰まるような非常事態の対策には、お互いに自分の人生観と哲学が火花を散らした瞬間でした。その結果、被災地ワイズメンとワイズメンズクラブへの素早い緊急支援、3年間にわたる神戸YMCA支援として実を結んだことは、ワイズメンズクラブの歴史の一頁になりました。

 また彼は、1999年から京都YMCA常議員、2006年から日本YMCA同盟常議員に就任して活躍しました。京都YMCA本館と今出川センター、リトリートセンターの維持管理はもとより、とりわけ今出川センター売却には、㈱田中工務店の執行役員としての経験と人脈を活用した献身的な働きがあります。その他、サバエキャンプ場のパレスキャビン建設、スキーのリーダートレーニング、リトリートセンターのプログラム開発など、今日の京都YMCAは彼の働きが大きな力となっています。

 私は一昨年2月、彼が次期社長就任に当たり、念のために健康診断を受ける前日に話をしていました。診断結果は、すぐに彼から伝えられました。私は下手な慰めよりも自力で立ち上がる勇気と気力を持つことを願い、祈りながら彼の闘病生活に伴走していました。しかし彼は、その年の10月に私に対し遺言を残しました。内容は、家族のこととYMCAに関することでした。それでも私は、彼が翌年5月に亡くなるとは夢にも思いませんでした。

 悲報を聞いて以来今日まで、心の奥底にある、悲しみと痛みは生涯癒えることはありません。
私にとっての堀 一行は希望の星でした。彼が私と過ごしてくれた日々に感謝しています。
ありがとう。

堀 一行氏
1944年9月1日生まれ
1977年9月 入会
1979~1980年 地域活動委員
1981~1986年 野外活動事業委員
1983~1997年 京都南YMCA運営委員
1997~98・2001~07年 リトリートセンター運営委員
1999~2000年 ウエルネス事業委員
1999~2007年 財団常議員
2006~2007年 財団法人日本YMCA同盟常議員
2008年5月23日 逝去

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前田豊三郎さんを偲んで…… 「誠意の人 前田豊三郎さんを悼む」

京都YMCA名誉主事 高谷 泰市

 去年9月に前田豊三郎さんを天に送りました。前田さんは1963年に京都YMCA理事に就任され、それ以来実に45年にわたって奉仕されました。青年期にキリスト教会で受洗され、聖公会京都聖光教会に属しておられました。

前田豊三郎氏 同志社大学学生時代に家業の醤油味噌の卸売り業を継がれ、その上病にも罹られ苦労して大学卒業されました。そして前田商店を株式会社マエダという京都でも有数の味噌醤油、ビール、飲料の卸売会社に育て上げらました。前田さんは小売店の方々からもその誠実さで大きい信頼を得ておられました。いつも明るく人々に接し、親身になって相談にものられ、空き缶問題では指導的な役割を果たされました。

 理事に就任されたころの京都YMCAは、古い本館を建て替えることが課題で、ようやく拡張委員会が出来てこの問題に取り組む時でした。そして遂に烏丸今出川に青少年センターを建設するにいたり、奥山市三委員長とともに取り組んで頂きました。さらに長期企画委員として、西村大治郎委員長のもとご活躍いただき、その10年後に本館が完成するに至りました。建築のたびにご尽力いただき、多額の募金もしていただきました。また、1988年から財団副理事長に就任され、バブル崩壊後の困難な状況の中で、運営を背負って下さいました。

 また仕事以外に地域の課題に奉仕され交通安全協会、京響友の会の理事、郵便友の会の役員もされました。また京都ロータリークラブの会員として会長もされ、西村大治郎さんが地区ガバナーのとき幹事長をされました。出張の時には文庫本を一冊は読むという読書家でもあり、観劇もされ私もご一緒しました。いつもニコニコとYMCAの事務所に来られたお顔を忘れることができません。

 生涯にわたって神と人に仕えたその霊が神のみもとにあって安らかなることを祈ります。

前田豊三郎氏
1924年9月8日生まれ
1963年7月 入会
1963年 理事就任
1988~2006年 財団副理事長
1990~2004年 学校法人理事
2006・07年 財団監事
2007年 財団役員退任
2008年9月16日 逝去

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