京都青年 2006年4・5月号


神の栄光が現れるため ~二千年に及ぶ願い~

社会福祉法人 修光学園 理事長
学校法人 京都YMCA学園 監事  森 昇

もう一つのトリノオリンピック
去る2月10日から17日間にわたり開催されたイタリア・トリノでの第20回オリンピック冬季競技大会では、過去最多の240名の選手・役員団が派遣されましたが、当初予想されていた選手の多くがメダルに届かず、茶の間の観客のため息をさそっていました。
そのような中で、女子カーリング競技での日本選手の活躍ぶりや、終盤のフィギュアスケート女子シングル競技での荒川静香選手の金メダルの獲得によってそれまでの鬱屈した気分が晴れ、「イナバウアー」という専門用語が、まるで幸せを呼ぶ魔法の言葉のように全国に拡がりました。
一方、もう一つのトリノオリンピックが3月10日から10日間にわたって開催されました。それは「2006年トリノ冬季パラリンピック競技大会」です。
このパラリンピックは、4年に1度、オリンピック終了後に行われる「もう一つの(Parallel)オリンピック(Olympic)」で、日本からは90名の選手・役員団が派遣されました。
そして、障害のある世界のトップアスリートが出場するこの国際競技大会で、日本は金メダル2個、銀メダル5個、銅メダル2個の計9個を獲得し、世界で8位という海外開催大会では過去最多を記録する快挙となり、多くの感動を呼びましたが、オリンピックに比べてテレビや新聞の扱いが小さかったのは少し寂しいことでした。

障害は社会の中に
そうは言え、障害のある方々がこのような世界の舞台で活躍できる時代になったのは大きな変化で、数十年前の日本では想像もできませんでした。
この間に、日本の障害者施策に大きな転機をもたらしたのは、「完全参加と平等」をテーマとした1981年の「国連障害者年」でしたが、国連決議はその主旨を次のように述べています。
『障害者は決して健常者と異なるものではありません。みな同じように生まれ、同じように働き、同じように生活しています。ただ、足が悪い人は歩くことが困難ですし、目の不自由な人は本や新聞を読むのに不都合です。それは単に、困難であるというだけにすぎません。』
『現在の社会は、障害をもたない人を中心とした社会です。目の不自由な人は道のどこに危険があるのか知ることができません。足の不自由な人は段差があるところは歩きにくく、階段を上るのは困難です。』
『このような世の中で、障害をもつ人々は、時おり社会から疎外され、偏見や差別が生まれ、社会の片隅におかれがちになっていますが、その不自由なところを何らかの方法で補うことができれば、自分自身の力で生活することも可能です。ただ、未だにそのような社会になっていないのです。』
『国連障害者年のテーマである「完全参加と平等」は、障害がある故に社会から疎外されがちな人々が、みんなと同じように社会の一員として生活し、幸福になることを願って作られました。』
そして、障害とは「社会の中にある障壁」であることが明確にされ、「心のバリアフリー」も重要な課題となりました。

神の栄光が現れるため
ところで、ヨハネによる福音書9章には次の有名な記事があります。 『イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。「この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業(わざ)がこの人に現れるためである。」』
この弟子たちの質問は、現代でも残っている偏見によるものですが、イエスはそれを一蹴して、障害をもつ人とその両親を社会的な因習と差別から解放し、さらに治療も施して目が見えるようにしました。
聖書ではこのほかにも、イエスが口のきけない人やてんかんの人、手の萎えた人などを次々に癒す様が記されていますが、一貫してイエスは、障害のある人々や病気の人々、そして子どもや寡婦など弱い立場におかれた人々の側に立ち、社会で差別され小さくされてきた彼らにこそ神の栄光が現われることを告げました。

二千年に及ぶ願い
このような「障害」観が今から二千年も前に説かれたことに驚嘆するばかりですが、先に記した「国連障害者年」の主旨をも貫く普遍の真理として、今なお、社会のあるべき姿を指し示しています。
この「国連障害者年」の後、1983年からの「国連・障害者の10年」、1993年からの「国連・アジア太平洋障害者の10年」と続き、2003年からは「国連・アジア太平洋障害者の10年」をさらに10年間継続させ、世界の国々を挙げて真の「完全参加と平等」の実現を目指してきましたが、25年を経過した今もそれを実現した国はありません。
先に、「国連障害者年」の主旨を引用しましたが、この願いは二千年を経た今もなお続いているのです。「神の国はこのような者たちのものである」とのイエスの願いが。

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全国JOCジュニアオリンピックカップ
水球クラブ小学生チーム全国4位!!

2006年3月26日(日)~30日(木)の5日間、千葉県千葉総合国際水泳場にて第28回全国JOCジュニアオリンピックカップ春季水泳競技大会水球競技(春季JO)が開催されました。この大会は、全国の各ブロックの予選を勝ち抜いた24チームが集い日本一を決める、年に2回(夏季、春季)行われる大会です。京都YMCA水球クラブの小学生チームは見事予選を勝ち抜きこの大会に出場しました。大会では、予選ラウンド(6チームリーグ戦)を行い、上位2チームが決勝トーナメントに進み優勝を決めます。予選ラウンドを4勝1分の1位通過で決勝トーナメント進出を決めた京都YMCAは、準々決勝(決勝トーナメント1回戦)で延長の末、劇的な勝利をしベスト4、そして続く準決勝、3位決定戦では敗れはしたものの、3位決定戦ではまたも延長にもつれ込む大活躍を見せ、会場を大いに盛り上がらせました。目標であった決勝トーナメント進出を上回る結果に、子どもたちはとても満足な表情で、とても自信となった大会となり、また大きな経験となった5日間でした。今年度の夏季JOは京都アクアリーナで開催されます。春季JOの結果を大きな目標とし、新チームで挑みます。

水球クラブ小学生チーム全国4位!!

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イスラエルの少女の日記 『平和への夢』出版

イスラエルの少女の日記 『平和への夢』  15歳の誕生日に、自爆攻撃で亡くなったバット・ヘン シャハクさん。彼女が、小学五年から中三まで書き綴った日記が、母親によって死後に発見されました。パレスチナとの対立が絶えない日々に、こころからの平和を願う少女の思いが数々の詩となって残されています。
2003年6月に、彼女のご両親が「和平のためのイスラエル・パレスチナ遺族の会」の代表団一員として京都を訪れ、宗教者の集まりで娘の日記が紹介されました。そして、ヘブライ語の「平和への夢」が、小泉潤ルーテル教会牧師に手渡され、日本の多くの若者に平和の詩を読んで欲しいと託されました。
それから2年半をかけてYMCAで編集作業が続けられ、詩の日本語訳も出来上がり、昨年9月には、監修で児童文学者の今関信子さんがイスラエルのシャハク家を取材し、バット・ヘンを紹介する訪問記も書き加えました。そして、没後10年目の春に、PHP研究所から出版されました。彼女が夢見た平和の詩を、ぜひご一読ください。
三条本館受付で、お求めできます。(税込価格1,260円)