京都青年 2006年10月号


YMCAの仲間の輪を国際協力に広げて

 独立行政法人国際協力機構(JICA)
ボランティア事業・青年海外協力隊隊員
京都YMCAリーダーOG 飯島 真枝

 昨年、まだ大学院に在籍中だった私は、西アフリカのナイジェリアで2ヶ月間インターンをする機会を得ました。
彼の地の人々の生活は、日本人の私が送ってきた生活とは大きく違っていました。
私が滞在した小さな地方都市では、「水洗便所らしきもの(レバーを引いても水は流れないので、バケツで落とします)」が普及はしていましたが、道端で用を足す子どもたちも度々見かけました。電気はあるものの停電が1日数回、時には復旧まで数日かかることも。また、学校には、基本的に教科書がありませんでした。子どもたちは先生の板書のノートが教科書代わり、数冊しかない教科書は専ら先生の授業準備用に使われていました。ナイジェリアの公立小学校は無料ですが、近くに学校がなかったり、家の仕事を手伝わなければならなかったりして通うことのできない子どもたちが大勢います。

ナイジェリア、アベオクタ市の私立中学校にて。
ナイジェリア、アベオクタ市の私立中学校にて。

 一方で、日常のこんな光景も印象的でした。ホームステイ先の家で、お母さんが子どもたちに「ちゃんと勉強はした?」と毎晩聞くこと。学校のとてもやんちゃな生徒が、お母さんからの電話に出るときだけは、いつも「気をつけ」の姿勢でかしこまった様子だったこと。日本でも見かけるこうした光景は、「国も生活も違うけれど、人間案外同じようなことを考えて生活しているのかもしれない」と、少し親近感を抱かせてくれました。
残念なことに、日本で得られるアフリカに関する情報は、かなり偏っているように思います。テレビや新聞に載るのは紛争や難民のこと、援助のキャンペーンの宣伝も、もの悲しげなトーンのものがほとんどではないでしょうか。人々が実際どんな生活をしているのかは、情報が溢れる今日の日本にあって、ほとんど知られていないのではないかと思います。
もちろん、たとえ偏った情報でも、世界には貧困や紛争に苦しむ人々がいるということを知るのはとても大切でしょう。しかし大事なのは、だからと言って彼らが皆、画面に映し出されるような暗く悲しそうな顔をしているわけではない、ということです。状況は厳しくとも、人々はとても生き生きと暮らしているということもまた、知っておかなければならないことです。そのことを知ってこそ、他の国の人々に対し「仲間」という感覚を抱くことができるのではないでしょうか。

ナイジェリアの街角で。
ナイジェリアの街角で。
この状態でアパートの周りを何周もまわっていました。
楽しそうでしょう?

 国際協力は、誰かを「助けてあげる」という、与える者と与えられる者に分けて捉えられるべきものでは決してない、と私は考えています。YMCAの活動では、自分以外の誰かの問題を、自分のことのように捉え取り組んだ経験が少なからずあります。そうして脈々と築かれてきた仲間の輪が、少しでも外へ向かって広がっていって欲しいと願ってやみません。
私は今年6月、独立行政法人国際協力機構(JICA)のボランティア事業・青年海外協力隊の隊員として、フィリピンに赴任しました。
任地のバターン州バランガ市は、太平洋戦争中の激戦地だったこともあり、日本人への関心も比較的高い地域です。まだ任地に到着して間がなく、生活が落ち着くまでもう少し時間がかかりそうですが、陽気で親切な地元の人々に囲まれ元気に過ごすことが出来ています。ここで私は、学校へ通えない10代後半から20代の青少年を対象に、活動を行う予定です。

フィリピンにて。
フィリピンでは、学校に行けない青少年向けに、
簡単な計算などを教える無料の教室が各地域で開かれています。

 国際協力の道を志したことと、YMCAでの活動の経験は、無縁ではありません。子どもの頃、キャンプで年齢も学校も違う人と生活をともにした経験は、私に色々な人と出会う楽しみを教えてくれました。そして、出会った一人一人を仲間として大切にし、誰かが困れば皆自然に、また真剣に知恵を出し合い、力を出し合う雰囲気は、とても貴重なものだったと思います。
私にとって国際協力とは、YMCAで経験したこの「仲間」の輪を、少しでも大きくしようという努力ではないかと考えています。

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内戦犠牲者の子どもたちからの学び

リーダーOB 北山 千尋

 スリランカではシンハラ人・タミル人の一部による武力的対立(内戦)により、多くの犠牲者が出ています。そして、多くの子どもたちが肉親を失い、心身ともに被害を受けています。そうしたスリランカの内戦によって被害を受けた子どもたちの心のケアを主な目的としたスリランカ・コロンボYMCAでのキャンププログラムに参加しました。また、多民族の子ども同士の民族融和にもねらいを定めて、スリランカ全土から広く参加者を集めたキャンプでした。
今回のキャンプを通して、私自身がスリランカの子ども達のために何ができたのかはわかりません。しかし、自分自身がスリランカの子ども達から気づかされ、与えられたものは確実にたくさんあります。彼らは、ゲームやレクリエーションに全力で楽しみ、仲間と共に音楽に乗せてステップを踏み、心の底から笑うことを楽しんでいました。戦争という現実を感じさせない彼らの笑顔に忘れていた大切なものを思い出させてもらいました。何も不自由することなく、社会の流れに身をまかせて生活している最近の私は、彼らのように心から笑い、全力で楽しみ、キラキラした純粋な眼差しで物事を見つめることができていないような気がするのです。自分の信念や誠実な志よりも、安易な考えや楽な方向に流されてしまっている現実があるような気がするのです。自分自身を素直に表現する事や、精一杯今を生きる事、そうしたものを気付かせてくれたスリランカの子ども達に本当に感謝しています。
なにげなく生きている今という時間に、世界では大きな事件や大きな悲しみが生まれています。そうしたものに目を向けて自分の考えや思いを素直に表現して、勇気をもって行動していきたいです。それが大切なものを気付かせてくれたスリランカの子ども達への恩返しになればと思います。

内戦犠牲者の子どもたちからの学び

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